ウェルビーイングを生成する時間

ドミニク・チェン(情報学研究者・起業家)

2022年の夏からconveningの枠組みの中で、アーティスト、編集者、キュレーター、プロデューサー、研究者、法律家や社会活動家といった多様なメンバーと一緒に、森美術館の企画展や福島県富岡町の被災地復興の現場を巡ってきました。ここでは「ミュージアムやアートプロジェクトがメンタルヘルスクリニックになりえるのか」というconveningが掲げる問いについて、現時点での自分なりの考えを、専門とする情報技術の観点を交えながら書き出してみたいと思います。

時間の価値

conveningの問いに対しては、わたしはすでに2021年にアーツカウンシル東京に寄稿した「『with コロナ』の時代における芸術文化の『ウェルビーイング』」という記事で、「yes」と回答しています(*1)。

そこではWHO(世界保健機関)が2019年に公開した調査報告書「芸術が健康とウェルビーイングを向上する上で果たす役割のエビデンスは何か?」(*2) を取り上げ、数多くの関連研究の精査から、広義の文化芸術活動が精神疾患に役立ち、自己や他者をケアする視点の獲得といった「病気の予防」と「ウェルビーイングの促進」、そして精神疾患から終末治療ケアまでを含めた病(やまい)の「マネージメント」と「処置」についての効果が認められていることを紹介しました。

また自分自身の研究や表現の活動で得られた知見からも、文芸から現代美術まで、あらゆる芸術文化活動を通して異質な他者と自己との差異を価値に転換し、それを共有することが社会的なウェルビーイングの醸成につながるという考えを書きました。その意味でも、当時から世間で囁かれた「芸術文化は不要不急」という声には、記事の公開からちょうど2年が経過した現在でも、真っ向から反対します。この思いは変わっておらず、むしろ強化されていますが、それには、conveningへの参加体験も影響しています。

conveningという英語の名詞が「共に・来る」ことを意味するように、多くの人がパンデミック下の巣ごもり生活を経て、同じ物理空間に他者と集うことの喜びを再び味わっている今、「時間」の価値が前景化しているように思います。当たり前のことですが、物理的な移動や話し合いには時間も手間もかかります。しかし、その制御しきれない時間のなかでこそ、わかりにくい事象を受け止め、自分なりの意味を見つけるという行為が可能になるともいえます。

conveningのプログラムでは、多様な参加メンバーとの対話の時間が多く設けられたおかげで、すぐに結論が出せないような、さまざまに複雑な事象について、考える種をたくさん植えられたと感じます。「雑感」という言葉が話し合いのなかで出てきましたが、結論を急かずに雑感を雑感のまま共有できる時間に大きな喜びを感じていました。

なかでも、小山薫子さんとキヨスヨネスクさんの演劇ユニットhumunusと秋元菜々美さんによる、福島県富岡町でのツアー演劇には深い感銘を受けました。3.11の津波被害にあった各地を訪れながら、それぞれの場所にまつわる記憶や伝承に耳を傾けるなかで、そこに生きてきた人々や生き物たちの気配に束の間、触れられるような感覚を覚えました。それは、当たり前すぎることですが、ほぼリモートワークで過ごしてきた東京での2年間の生活のなかで決して味わうことができなかった深い時間の体験でした。

情報空間の貧しさ

わたしがここで比較対象として想定しているのは、いわゆるオンライン空間におけるコミュニケーションの様相です。人々の注意を効率的に収奪しようとするアテンション・エコノミー(注意経済)の原理が働くSNSでは、わかりやすさ、明快さが求められ、複雑なニュアンスやコンテクストは捨象されがちです。コスパ志向はいまやタイパ(※タイムパフォーマンス)志向を生み出し、本能や情動に訴えかけるコミュニケーションの技法がますます強化されてしまっています。SNSは孤独を癒やすという公共的な価値も帯びていますが、承認欲求を促進する構造はものごとの価値をすぐに数値評価しようとする思考を広めてもいるでしょう。

それはまた、本来は複雑な事象をテキストデータや映像といった限定的な情報によって解釈せざるを得ない、情報技術空間が本質的に抱え込む「貧しさ」にもよるものだといえます。リモートワークや巣篭もりのなかで、わたしたちは情報技術によってかろうじて社会とつながってきましたが、その過程でわたしたちの世界認識は貧しくなっていった可能性はないでしょうか。

いまや物理的な美術館の展示空間においても、表現作品を鑑賞対象としてではなく、SNS上で映える自撮りの背景として扱っている来場者の姿が目立ちます。「メンタルヘルスクリニックになりえるのか」という問いを考える上で、このような状況に対してミュージアムやアートプロジェクトがなすべきことは、SNSの動きに追従することではなく、もっと真剣に自分たちの提供する時間の価値について考えるということだと思います。

長い時間を共有するための情報空間に向けて

conveningの命題に含まれる「メンタルヘルスクリニック」というキーワードも、時間の問題について考えさせられます。メンタルヘルスクリニックとは、日本の医療制度でいうところの心療内科および精神科を持つクリニックや総合病院などの医療機関を指している言葉です。精神看護の領域においては、客観的な診断を行う病理の次元と、当事者が主観的に経験する病いの次元のあいだにある乖離をどう接続しなおせるのかという課題が存在しています。多くの患者に診断を下したり、処方を与えたりといった医療行為を効率よく行わざるを得ない医療制度の実態がある一方で、オープンダイアローグや当事者研究といった、当事者が回復したと感じられるまでに長い時間をかけてケアする方法がさまざまに議論されてもいます。その意味でミュージアムやアートプロジェクトは、ひとりひとりが一方的な治療の対象として認識されるのではなく、自らのレジリエンス(精神的な弾力性)を獲得して自律的な回復の物語を紡いでいく支援を行う場所になれるのではないでしょうか。

わたしは芸術文化によって何度も救われてきた人間として、そして同時に情報技術の可能性を研究するものとして、このような来たるべき芸術文化施設を主語としながら、あくまで副次的な存在としてのテクノロジーがどのように支援できるのかということをこれからもconveningの仲間たちと考えていきたいと思います。

*1──アーツカウンシル東京、これからの芸術文化のウェルビーイングとは - ドミニク・チェン | コラム & インタビュー、2021/01/13 URL: https://www.artscouncil-tokyo.jp/ja/library/column-interview/45869/ (最終アクセス:2023/01/29)

*2──Fancourt, D., & Finn, S. (2019). What is the evidence on the role of the arts in improving health and well-being?.


PROFILE

ドミニク・チェン/1981年東京都生まれ。博士(学際情報学)。NTT Inter Communication Center [ICC]研究員、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、現在は早稲田大学文学学術院教授。人と微生物が会話できるぬか床発酵ロボット《NukaBot》の開発や、遺言の執筆プロセスを集めたインスタレーション《Last Words / Type Trace》を制作し、国内外で展示を行いながら、テクノロジーと人間、そして自然存在のウェルビーイングな関係性を研究している。

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